ヒーリングフォレスト カウンセラープロフィール

みなさま、はじめまして
栃木県のアダルトチルドレン(AC)・うつ克服カウンセラー 須藤 勝則です

カウンセリングを受ける上でカウンセラーがどんな人か、分からないと不安ですよね?
ここで少し、自己紹介をさせて頂きます

栃木のカウンセリングルーム「ヒーリングフォレスト」カウンセラー近影

カウンセラー プロフィール

アダルトチルドレン(AC)・うつ克服カウンセラー 須藤 勝則

趣味:音楽、映画、演劇鑑賞 ロック、ブルース、フュージョンなどよく聴きます

アニメ鑑賞も好きです(機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ、転生したらスライムだった件、薬屋の独り言など)

特技:ギター、ベースが少し弾けます(昔はバンドをやっていました)

1965年 神奈川県茅ケ崎市生まれ。 小学2年の夏に栃木県宇都宮市へ。
生まれつき爪の奇形があり、都内の病院への通院が成人後まで続く。

1995年 仕事中に倒れ緊急入院。 精密検査をするも特に異常なしとの診断。
※まだこの時点ではココロに問題があるとは気付いていなかった。

1996年 「アダルトチルドレン」という言葉を知り、自分でもそれを自覚する。アダルトチルドレンを取り上げたHP「Open Your Heart」を立ち上げ、同じような悩みを持った方々とメール等での交流を始める (現在、ホームページは一部コンテンツを残しています)

その後このHPはTV(NHK教育)、新聞、雑誌等で取り上げられ、私自身も取材を受けるなど「アダルトチルドレン」が一時的な話題となる。

1997年 心理カウンセリングの重要性を感じ、(一社)全日本カウンセリング協議会にて学び始める。

2000年 (一社)全日本カウンセリング協議会よりカウンセラー認定を受ける。
資格取得後、15年以上無料ボランティアで面談及びメールのカウンセリングを開始する。

この時期を含めカウンセリング実績は延べ5,000人以上、15,000時間以上となる。

2004年 重度のうつ病を患いそれまでの仕事を退職。 一年間かけてうつ病を克服する。

2012年 知的障がいを持った方々が集う福祉施設に支援員として就職。

2016年 カウンセリングルームを開くため、施設を退職。

2016年9月 カウンセリングスペース Healing Forest オープン

子供の頃は

幼い頃はとにかく体が弱く、病院と縁が切れない子供でした。
生まれた当初は「3年は生きられないだろう」と言われていたようですが、半世紀以上生きて来ています。

斜視や扁桃腺肥大にアトピー性皮膚炎など、毎週何かしらの病院に行っていました

ちょっとしたことで扁桃腺が腫れては、月に何度か40℃の高熱を出し、視力回復訓練で眼科に、アトピーで体の痒みから皮膚科にも通い…
子供の頃はとにかく、病院の思い出ばかりです。

また、手足の爪に特殊な奇形の病気を生まれつき抱えており、その原因を探るために大きな病院、東京周辺のあらゆる大学病院などを回り、入退院を繰り返していたようです。
(本人にはその記憶があまりありません)

結果的にはこの爪の病気の原因は分からず、今でもこの爪と付き合っています。
この爪は、私の人生において大きな影響を与えています。


まず、すぐに化膿するんです。

普通の人でいう「ひょうそう」というモノと同じような症状で、一度化膿し始めると指先全体が熱を持ち、腫れあがり、とにかく痛いんです。
痛みで眠れないんです。

指先って神経が集中しているので、痛み止めを飲んでもあまり効かないんですね。
両親が一晩中、代わる代わる熱を持っている指先を氷などで冷やしつつ、「痛い」だけを繰り返す私を看病してくれたことはおぼろげながら覚えています。

それが3日間ほど続き、爪先から膿が出ると痛みも引くんです。

これは骨の成長が止まる10代の後半頃までは大体、月に2~3回発症し、50歳を超えた今でも年に何度か発症しています。

この爪はまた、他の子供が普通に出来る事が出来なかったりする原因ともなり、それが子供の頃から私に大きなプレッシャーを与えていたことは確かで、それが結果として「良い子」でいるようにしなければならない、と幼いながらに自分を仕向けていたように思います。

例えば、壁にぺったりと張り付いたセロテープがはがせません。
つるつるの床に落ちた硬貨を拾うことが出来ません。

なので今でも、レジなどでお釣りを受け取る時、落とさないようにしなくてはといつも緊張するんです。

この爪が元でいわゆる「いじめ」のようなモノを受けた時期もありました。
見た目、明らかに人と違う形をしているので、子供の頃は格好の標的でした。

学生時代は「良い子」で居たがために、周囲の友人達とも本当の意味で打ち解けられず、自分を追い詰めてしまったこともありました。
(もちろん、バンド活動など楽しかったこともありましたが)

人とは違う自分

「何でこんな爪で生まれてきたのだろう」
「何でこんなに苦しい想いをしてまで、生きていなければならないんだろう」

色々な事をして育ててくれた両親に対して、感謝の気持ちを持つ反面、何でこんな体で生んでくれたんだ、という気持ちも持っていました。

漠然とですが、自殺を考えた時期もありました。

20歳を迎えた頃、幼い頃からずっと私の爪を診て下さった医師にこんなことを訊きました。

「この爪は遺伝しますか?」

答えはこんな内容でした。

「正直、分からない。半々…としか言えないね」

そう言われた時、自分がこの先結婚して子供が生まれた時、もし私と同じ病気を持って生まれてきたら…

そう考えた時、私にはその痛みや苦しみが理解出来るから大丈夫、という想いとけどその痛みや苦しみを実際に味わうのは子供自身。

私がしてきた悲しみや苦しみを経験させたくはない、という想いが交錯し、結果として自分は結婚出来ないな、と思うようになりました。

そんな風に自分の存在というモノに否定的な「自分」がココロの中に住み続け、それは社会人になっても変わらず、「アダルトチルドレン」という概念を知るまで「生きづらさ」を感じる事は続きました。

私のアダルトチルドレン・うつ経験

振り返れば子供の頃から「親に迷惑を掛けてはいけない」「周りに迷惑を掛けてはいけない」「周りの人たちを楽しませなければいけない」と強く思っていたように思います。

常に病院通いが付いて回っていたためか、それが両親にとって負担になっている、と思っていた部分もあったんでしょう。

そこから「迷惑を掛けてはいけない」とか、学校に上がる頃には良い成績を取ると両親が喜ぶことを知り、その事ばかりに集中するようになりました。

迷惑を掛けない=大人に媚びるという部分もあったため、オトナ受けは良かったものの、子供同士の付き合いは苦手だったように思います。

そのため、小学校を卒業したらそこで付き合いは終わり、中学を卒業すればやはり付き合いはそこまで、高校を出た後は東京に出たため友達と連絡を取ることもせず…

そのたび人間関係が途切れたり、その途中でもいじめなどを受けて人間関係がうまく行かないことは多々ありました。
(登校拒否もしましたが、それも親に迷惑を掛けるという想いから長くは続けられませんでした)

何だかよく分からない息苦しさ、学校に居ても家に居ても社会に出ても感じていた居心地の悪さ。

しかしそれらはみんな「自分が悪い」と思い込んでいた事、そんな「生きづらさ」をいつも感じながら、それでも毎日を生きなければならないのがつらかった…

それが「アダルトチルドレン(AC)」のためだった事を知るのは、だいぶ後の事になります。


きっかけは、私が30代を目前にした頃でした。

当時の私は、とある小さなお店の店長をしておりました。
小さなお店ではあったんですが、全国チェーン店で規模は大きく、他店との競争もあり、毎日の売上を確保すべく忙しい毎日でした。

開店前の朝9時から閉店後の夜9時以降まで、休日はタイムカードを切らずに出勤して仕事して…という日々が2年くらい続いたでしょうか。

ある日、帰宅すると同時に玄関先で倒れてしまい、そのまま救急車で病院へ。
入院となった訳なんですが、色々な検査をしたものの、胃に少しの具合悪さがあっただけで、他に異常は無し。

1週間ほどで退院出来たのですが、仕事に復帰する事は出来ませんでした。

うつ病イメージ

まず朝、目が覚めてもカラダが動かない。
何より、それまであった「やる気」が起きない。
結果、仕事を退職しました。

今になって思い返してみると、抑うつ状態だったのかも知れませんね。

こうして私はアダルトチルドレンと出会いました。

体を壊して入院をし、退院してきた後もカラダもココロもいう事を聞かずに仕事を辞め悶々と過ごしていた時、インターネットを通じて「アダルトチルドレン」というモノを知りました。

そこに書かれていた内容を見た時「これは自分の事だ」と感じて以来、アダルトチルドレンについて色々と調べたり、同じような想いを抱えている方々とネットなどで語り合う事を続けて来ました。

そこで自分の事を話し、相手の話を聴く事を続けて来たことによって少しづつ、ココロが癒されていく事を実感しました。
そこから自分自身の「ココロ」と向き合う中で、心理カウンセリングというモノの存在と出会いました。

しかしその10年後、30代の終わり頃、アダルトチルドレンからの回復途上の中、当時とても大切にしていた人間関係が破たんしてしまい「うつ病」を発症しました。

まだ現実世界の中では「良い子」を続けてしまっていたんですね。

車の運転中に嫌な思い出がフラッシュバックのように思い起こされることがあり、身の危険を感じるとともにドクターストップも掛かったため、やはりこの時も仕事を辞めざるを得ませんでした。
それから約一年、ほぼ寝込むことになります。

病状は坂道を転げ落ちるようにどんどん悪化し、何をするのも面倒くさくなり、食事をするのもTVを観るのも面倒、トイレすらもギリギリまで我慢して限界になって初めてベッドから起き出して這って行くような時期もありました。

私にとって助けとなってくれたのは、こんな私でも見捨てずに話を聴いてくれる友人がいた事でした。
これが結果的に一年ほどで社会復帰出来るようになった一因になりました。

ここでもやはり「悩みを話す」事の大切さを知ることが出来ました。

退職代行サービスって

昨日、ニュースを観ていたら今、退職代行サービスが忙しくなっているという話題を取り上げていました。

名前だけは聴いていたのですがどんなサービスなのかはよく知らなかったんですけど、要は会社を辞めたいんだけどそれを直接言いづらい人に代わって、このサービス会社が会社に退職の意向を伝えてくれる、というモノのようで。

特に新年度が始まった今、既に会社を辞めたいという新入社員さんの利用が増えるんだそうです。
このニュースの中でもインタビューに答えていたのは4月1日に入社した新入社員で「自分は自宅の近くで働きたかったんだけど、配属先が遠くて」という理由を伝えていました。

そういう会社に入ったのも自分の選択だし、そもそもまだ一週間も働いていないだろうに、もう辞めたいというのもどうなのか…とも思ってしまうのですが、新卒社員の3割が一年以内に退職しているというデータもあるようで、そうなると「思い立ったが吉日」というのもアリなのかも知れません。

もし30年前にこんなサービスがあったら、きっと利用していたなぁ…何で思い出すことがありました。

28歳の頃、それまで働いていた会社を辞めました。
理由はうつ病。
けどそれは辞めた後に分かったことで、辞める時には特に身体には問題なしと医師からは言われていました。

辞めることになる1か月前まではバリバリ働いていて、休みの日もタイムカードを切らずに出勤、仕事して…という日々でした。
チェーン展開をしているお店の店長さん、という立場でとにかく「売上を上げる」という目標があり、全店の中でも常に売上高で1.2位という店を任されていたので、毎日が必死でした。

その半年ほど前くらいからずっと、何となく胃が痛かったりむかついたりしていて、食事もあまり取れていない状態が続いていたのですがある日、自宅の玄関を入ったところで倒れ込んでしまい、気が付けば救急車の中。

それから検査入院で1週間ほど経ち、少し胃が荒れているね、という程度で他に問題は無し。
退院して一週間は自宅療養して、いざ改めて出勤、という朝、全く身体が動かなくなり。

気持ちは「起きて仕事に行かなくちゃ」と焦るんですけど、カラダが全くいうことを聞いてくれず、物理的に起き上がれなくなって。
翌日もそんな状況が続き、それが1週間続き、いよいよエリアマネージャーから「どうするんだ」と連絡があり、その時はもう「誰にも会いたくない」気持ちが強くなっていて、そのまま退職手続きを取りました。

店に私物もあったし、部下の子たちはともかく他のテナントの方々とは仲良くしていたんですけどその皆さんにも挨拶出来ないまま、その店を去りました。

退職が決まった時、気持ちがとても軽くなったのをよく覚えています。
ただ体調は戻らなかったので改めて病院に行ったところ、それはうつ病かもしれないと言われ精神科を紹介された、というのが私の一度目のうつ病の経緯です。

それから「アダルトチルドレン」という概念と出会い、カウンセリングというモノを知り学び始める、ということになる訳で、人生どこでどうなるか分からないものだ、と今では思えます。

もしあの時にこんなサービスがあったら、もう少し楽な気持ちで居られたのかなぁ…とも思うのですけど、一方でそれはそれで自分自身の責任を放棄して全て他人任せにしてしまった、と自分を責めるかも知れないとも思い。

その答えは今でも出せないなぁ…なんて思いながら、このニュースを観ていました。

ただ、今もし「もう辞めたい」と思っている新入社員さんには「とりあえず3ヶ月やってみな」と伝えたいと思います。

入社したばかり、会社はまだあなたたちには何も期待していないし、仕事が出来るとも思っていないし、だから結果も求めていません。
けど「期待していない」というのは「今は」というだけで、これからの皆さんがどれだけ活躍出来るのかは未知数であり、その仕事の面白さや楽しさを見つけるには、最低でも3年くらいは掛かるモノです。

今すぐ「辞めたい」と思われている方は、何故そう思ってしまうのかを少し探ってみて、そこにある問題は何なのかを見つけて、それをまず誰かに相談するなりしてみて下さい。

もしかするとその行動が、これからのあなたを大きく変えてくれるかも知れません。

…というわけで、今日は取り留めもないお話でした

栃木県のアダルトチルドレン・うつ克服カウンセリングルーム ヒーリングフォレスト ブログ より
働き過ぎ

「カウンセラー」として生きる

倒れる前の自分の仕事状況を振り返って、部下たちとの意思疎通が出来ていなかった、むしろ嫌われていた店長で、コミュニケーションの取れていない、人間関係が全く築けていなかった店長だったな、と思いました。

カウンセリングというモノは、そういう自分の「ココロ」と向き合い、「ココロ」を良い方向に向けてくれるもの、そんな風に考えていました。

そこでカウンセリングとかカウンセラーというモノについていろいろと調べてみたんですがそこで色々と目にし、耳にした事は、カウンセラーの悪評でした。

「暴言を吐かれた」「行くたびに言われる事が違う」「かえって悪化した」…

もちろん、そんなカウンセラーというのはごく一部にしか居ない、と思う一方で、そういうカウンセラーもいるのか、という事実も知る事が出来ました。

現実問題として、私自身も重度のうつ病を経験し、一年ほど仕事が出来なかった中で当時、私の地元にあったカウンセリングルームを訪れたのですが、やはりそこでのカウンセリングというモノは私が調べたモノとはほど遠く、これでは良くなるモノも良くならない、という事を実際に体験しました。

自分のこれまでの経験が誰かの役に立てるなら…
それなら、自分で学んでみよう、そして、自分と同じように悩みを抱えている方々のチカラになれるよう、頑張ってみよう、そんな風に思い立ち、カウンセリングを学び、実践を始めて20年以上、今に至ります。

この間、アダルトチルドレンを自覚する方やそれに気付かず苦しんでいる方、そのために長い間「うつ病」と闘っている方など、様々な方々のお話を聴く事によって、何故自分がそうなってしまったのか、何故その苦しみが今も続いているのかといったココロの中にある「悩み」や「苦しみ」を「話す」ことで回復して行ける事、そしてそのお話を聴く事でその方が回復していく様子を目の当たりにして、ACやうつで悩み苦しんでいる方々のお役に立てることを実感する事が出来ました。

これまでに、ボランティアで面談カウンセリングを行ないながら、同時にメールでのカウンセリングについてはこれまでに数千通のご利用を頂いております。

これまでのカウンセリングの中で、感謝の言葉を頂いたこともありますし、お叱りやクレームを頂いたことも多々あります。

それらすべてが私の中で「糧」となり、カウンセラーとして成長させてくれています。
そして何より「ココロが軽くなりました」という言葉と笑顔を見る時が、カウンセラーとして一番うれしく、やってきて良かったと思える瞬間です。

一人でも多くの方の「笑顔」を見るために、精進しています。

これまで、販売業、派遣での工場勤務、そして知的障がいを持った方々の支援業務と、様々な仕事の現場を経験して、それぞれの中に存在する人間関係や仕事の難しさ、 そこで働く方々の抱える苦悩などとも向き合い、またそこで自分がそういった問題とどう向き合って来たかという経験も、カウンセリングの中で活かせると思っています。

特に福祉の現場で働いている方々、障がいを持った方のご家族やその周辺の方々のお立場等は支援や介護等を含めて良く理解しておりますので、様々なご相談に対応出来ると思います。

みんなが幸せになるために

世の中に人が居る限り、「悩み」というのも尽きない、それによってココロが苦しくなったり、ココロを病んでしまったりする人も減らないと思います。

理想を言えば、カウンセラーなんていう職業は将来的にはなくなれば良い、そんな風に思っているんですが、現実的にそれは難しい事でしょう。

むしろこれからはSNS等の発展などにより人間関係は複雑化し、その軋轢の中でココロを病んでしまう人はもっと増えてくるでしょう。
その対応も難しくなってくると思われます。

そういった方々の一人でも役に立てるよう、ココロの元気を取り戻して頂けるよう学び続け、体が動く限り現場で一人でも多くの皆様と向き合っていきます。

そして、アダルトチルドレンで生きづらさを感じる方が少しでも減るようになり、人間関係が円滑になって最終的には自殺する人が一人でも減っていくような世の中にしたい。

栃木の自殺者数ゼロを目指してカウンセリングを行なっていきます

そんな世の中を目指して、カウンセラーとしてこれからも活動していきます。

これまでに行なったカウンセリング実績は、無料ボランティア期間を含めると延べ5,000人以上、15,000時間以上となりました。
その経験の中でも、様々な事をカウンセラーとしても学ばせて頂き、新たなクライアント様に還元しています。

ですがカウンセラーは生涯勉強、生涯精進 ゴールは無いモノと思っています。

皆様のココロに耳を傾け、お話を聴かせて頂きながら皆様のココロに寄り添い、これからも更に学び続け、一人でも多くの方のお役に立てれば幸いと思っております。
どうぞお気軽に、悩みや愚痴など、ここで吐き出してココロを楽にしていって下さい。

「読むだけで変わる、カウンセラーからの10の質問」ヒーリングフォレスト電子書籍

「誰にも話せない悩みを抱えているあなたに、その悩みを『話す(放す)勇気』を持ってもらえたら…」
そんな想いを込めて書きました

心理カウンセリングに対する疑問や不安を感じている方はぜひ、スマホやタブレットにダウンロードしてご一読ください

「読むだけで変わる、カウンセラーからの10の質問」

事業概要

会社名カウンセリングスペース Healing Forest(ヒーリングフォレスト)
代表者名須藤 勝則
住所〒322-0026 栃木県鹿沼市茂呂2526-5-202
電話番号080-4125-4916
業務内容・アダルトチルドレン・うつ克服、人間関係・コミュニケーション改善を中心とした心理カウンセリング
・面談、LINE・Skypeによるカウンセリングでのココロの回復支援
・アダルトチルドレン・機能不全家庭等に関する講座、人間関係・コミュニケーション改善セミナー、講演など
(鹿沼商工会議所会員)

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